プノンペンに小規模ながら存在する200人のユダヤ人コミュニティ

プノンペンに小規模ながら存在する200人のユダヤ人コミュニティ
2016年12月29日 00時00分 公開
プノンペンに小規模ながら存在する200人のユダヤ人コミュニティ


商業的且つ宗教的な行事としてクリスマスがカンボジアでもだんだんと注目を浴びるようになってきたが、仏教徒が大部分を占めるカンボジアで「ハヌカー」は大きな行事ではないとみなされている。ハヌカーとはユダヤ教における祭事の一つで、クリスマスと同時期に行われるが、両行事の起源は異なるとされている。

ユダヤ歴でハヌカーの祭事に当たる祝日、ラッビー・ベンツィオン・ブトマン氏は最高のハヌカーを迎えた。ブトマン氏はハヌカーの日を仲間内だけでの集まりにとどまらないようにしており、多くの人々にハヌカーの存在がだんだんと知られるようになってきた。

ブトマン氏は、今年のハヌカーはメノーラーという燭台をカンボジアの各地に届けて回ったという。「ポイペット、シハヌークビル、シェムリアップ、カンポット、モンドルキリなど、各地に燭台を送った。そしてここで8日間にかけてパーティを開くことになっている。」と答えた。

プノンペンのシソワ・クアイの狭い住宅の路地をくだると、チャバドの家と呼ばれる屋敷が見えてくる。カンボジアにあるユダヤ教の建物で、何代も昔からその造りは変わらない。建物の入り口には小さなレストランがあり、ユダヤ教ハラールの規則に即した「カーシェール」の食べ物や、ゴマを練ったチーマージャン、塩漬けされたヤシの芽、ブラックオリーブが棚に並んでいる。

ブトマン氏は正面の机に座ると、電話越しに誰かと花を咲かせ始めた。カンボジア人スタッフがそばで待機しており、1.5mはあろうかという燭台に電球を回しこんでいた。カンボジアには現在、200人近いユダヤ人が暮らしており、ブトマン氏がコミュニティを築いたのだという。

「どのチャバドの家も、一つ一つストーリーがある。」と笑顔を見せたブトマン氏。話の始まりは2009年に遡る。ブトマン氏は2009年、定住の地を求めてニューヨークのブルックリンからカンボジアへ家族と共に移住してきた。

チャバドは、ユダヤ人の間で地域社会への奉仕などを意味する活動で、「ラビ」と呼ばれる宗教指導家を導くためのものだ。2000年の中ごろにラビが異動しているという知らせがバンコクのチャバドからカンボジアへと送られており、カンボジア国内にいるユダヤ人の数を調査しようとしていたという。

カンボジアにはユダヤ教に関する歴史がない。しかしアメリカやイスラエル、東ヨーロッパからの旅行客や外国人の流入が継続的に続くと、ユダヤ人は彼らの存在が保証されていると信じた。ブトマン氏は、ユダヤ人のチャバドが少ないボルネオの南にあるバリを訪れることになっていたが、セキュリティ・リスクが余りにも高いことが分かった。

対してカンボジアは安全だという。カンボジアの王宮は、2007年にムンバイのチャバドで起こったような襲撃事件を避けようと心配し、チャバドが安全に利用されるように定期的に配慮してくれるという。「援助を求めると、彼らはすぐに理解を示してくれる。」と、ブトマン氏も信頼を置いているようだ。

カンボジアに住み始めて7年が経ち、ブトマン氏のラビとしての仕事も忙しくなったという。毎週25~100人の人が安息日の夕食を食べに集まるという。また、ユダヤ系の幼稚園の運営責任者でもあるブトマン氏。墓地建てたり、カンボジア初となるユダヤ人の結婚式を企画したり、祭日や祝日には様々なもてなしを用意したりと、小さなコミュニティのために尽くしているようだ。


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