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クメール・ルージュの裁判において引き続き虐殺や反乱者に関する証言を審問している。目撃者の一人であるノーン・二ム氏(65歳)は昨日、一連の大量虐殺の中で、“Brother Number One Pol Pot”なる人物がクーデターの発起人であり、自身の兵士に反対して起こしたものであると証言した。
ニム氏は、東地区を統治するサオ・フィムという人物のドライバーでフィム氏の遠い親類に当たる人物だ。1978年、クメールルージュ戦線に包囲されると、フィム氏はその場で自殺。このとき、クメール戦線は北西地区を当時治めていたルース・二ム氏とサオ・フィム氏がポル・ポト政権の崩壊を計画していたと信じていたと、二ム氏は語った。「東区の統領であるサオ・フィム氏を逮捕することでクーデターを起こしたのだ。」と続けた。
二ム氏は、「クーデターとはどういうことですか?」と質問した裁判員のクラウディア・フェンツ氏に対し、「ポル・ポトは殺害目的で兵士を捉えた。」とコメントした。
また、フィム氏と二ム氏の関係については、「二人は子供同士を結婚させることで、ポル・ポト政権打倒という盟約を交わしていた。」と語った。「二人は抱き合いながら、ふざけて、お互いを「Ah Siam(卑劣なタイ人)」「An Youn(卑劣なベトナム人)」と呼び合っていた。お互いにめったに会っていなかったようだが、あえば互いにからかいあっていた。その真意は私にはわかりかねます。」と二ム氏は続けた。
フィム氏が亡くなる前の2週間、東地区の幹部らが逮捕され殺害されていった。残るはフィム氏自身だと、本人が自覚したとき、彼は投獄されている者を探しにプノンペンのポル・ポト(サロット・サル氏)のもとへと足を運んだという。
「彼はまっすぐな人だった。自分の目で真実を確かめることを選んだ。」と二ム氏。フィム氏がポル・ポトに殺害された後、二ム氏は兵士を300人集めたという。「これ以上仲間が殺されないよう、人々を守るために組織を結成した。」と述べた。
二ム氏が「去年証言した大事な詳細を、たくさん忘れてしまっている。」と述べたとき、クメールルージュ副リーダーの弁護人のビクトール・コッペ氏は二ム氏の記憶が信頼に足るものかどうかわからないとコメントした。「公共の場で証言することに何か恐れを感じているのか、それとも別の何かがあるのか・・」とコッペ氏は懐疑的に話した。
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※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。
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