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数日前に前国王次男でフンシンペック党党首のノロドム・ラナリット陛下が重傷、その妻が死亡した事故が発生し、20日に陛下の妻Ouk Phallaさんの火葬が行われた。
20日午前7時頃、Phallaさんの遺体はプノンペンのBotumパゴダで火葬された。火葬式にはフンシンペック党の党員数百人や王族、同党の支持者が参列した。
火葬式では、ノロドム・シハヌーク前国王の四男でカンボジア王国軍(RCAF=Royal Cambodian Armed Forces)将官でもあるノロドム・チャクラポン(Norodom Chakrapong)王子が、20日午前9時頃ノロドム・シハモニ(Norodom Sihamoni)現国王の代わりに遺体を火葬した。
火葬式には他にもラナリット陛下の姉ボパ・デヴィ(Norodom Bopha Devi)さんやカンボジア人民党(CPP=Cambodian People's Party)員のKong Sam Ol氏やHor Nam Hong氏が出席した。
今回の事故は17日午前10時頃にシアヌークビル州で発生した。フンシンペック党の支持者に対し演説をするために移動していた陛下とその妻の乗った車と大型タクシーが正面衝突したのだ。
同党の党員であるPhann Sothy氏は「陛下の妻Phallaさんの死はカンボジア国民全員によって悼まれるべきだ。彼女の死は、芸術を学び一生涯カンボジア王国に尽くした偉大な女性を失うことを意味する」と述べた。
Phallaさんは1979年7月27日にカンボジアで生まれ、計8人の兄弟がいるという。6歳の時、彼女はプノンペンにあるWat Kohスクールに通い始め、その後芸術大学のRoyal University of Fine Artsで勉学に勤しんだ。
彼女は類い稀なる才能で13歳という若さでカンボジア宮廷舞踊のアサプラダンサーに選抜され、ラナリット陛下の姉ボパ・デヴィさんにアサプラダンスの指導を受けた。
1993年、アサプラダンサーカンボジア王国代表に選抜され、日本やフランス、アメリカ合衆国、インド、タイ、ラオス、ミャンマーで演技を披露した。
1999年、フンシンペック党においてラナリット陛下とともに人権軽視に真っ向から反対を唱え、人道的な政策を行うと呼びかけて支持者を増やしていった。そして7月29日の総選挙にも出馬予定だった。
同党のBunchin副代表は「現在、陛下はバンコクの病院で治療を受けている。我々は未だに陛下に妻の死を伝えていないが、容体が回復しプノンペンに戻れば知らせない訳にはいかない。いかにして伝えるべきかを模索している。陛下には妻が電話に応答しないことへの説明として、重傷を負って口が利けないのだとごまかしている」と述べた。
現在、同党はカンボジア政府に今回の不可解な事故の原因究明を要請している。カンボジア国内では与党が故意に事故を起こしたとささやかれているようだ。ラナリット陛下が事故に遭うのは今回で3回目だ。
カンボジア国家警察のHim Yan将官は「我々は21日、記者会見を行い今回の事故について詳細を発表する」と語った。
出典:KhmerTimes
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※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。
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