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内閣は、フン・セン首相がポルポト政権からどのように国を解放し、カンボジアの人々に平和をもたらしたかを描いたドキュメンタリーを製作した。
「国家救済に向けての行進」というタイトルのこの番組は今日午後7時に、国営テレビ局TVKといくつかの私局で放送される予定である。
1975年4月17日、クメールルージュがプノンペンへ入城したことで、多くのカンボジア人が殺害され、また都市や住宅地から追放され市民権が剥奪された。
閣僚会議のウェブサイト上にアップされた予告編の字幕には、「学校や市場、お金もなく、人々はコミューンで共に働き、生活するような制度だった。そして人々の拷問と殺人はますます深刻になった。」と書かれている。
フン・セン氏やその仲間らは、ベトナム政府に対し国民解放運動の抵抗運動を組織するよう助けを求めた。
フン・セン氏は動画の中で、「当時このような決定を下すのはとても難しい判断であった。」
「私が国境を越える前に流した涙は、国の涙である。」と語った。
彼はベトナム政府に捕まえられ、カンボジアに送還された場合には自殺を試みるつもりだったと語った。
「捕まえられカンボジアに送還された場合のために、私はいつも喉に突き刺すための針を12本持っていた。」
制作関係者によると、ドキュメンタリーの目的はカンボジア人の歴史認識を高めることだという。
「カンボジアの人々は、平和を保証し、真の国家救済者が誰であるかを知るために、これまでの国を救うための歴史的な闘争について知っていなければならない」
元野党議員のオウ・チャラート議員は、与党CPPが今年の国民選挙の前に国民の支持を得る狙いがあると述べた。
「与党CPPが野党CNRPを解散させ、民衆の支持を得る必要があり、今回のドキュメンタリー制作は世論を改善するキャンペーンだ」
これに対し政府の広報担当者、パイ・サイファン氏は、チャラート氏の主張を退けた。
「1979年1月7日にカンボジアが解放されていなければ、反逆的なCNRPすら存在しなかったであろう」と彼は語った。
サイファン氏は、このビデオは約200万人の人々を殺した恐怖政権からの救済の歴史を示したと語った。
「国民の救済の歴史と人々の解放のプロセスを思い起こさせるだけのものだ」と彼は語った。
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※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。
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