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<写真:Khmer Times>
フンセン首相は、生年月日を1951年4月4日から1952年8月5日に変更した。
同首相の弁護士は今月初め、「誤った生年月日を使用していた」とする嘆願書をプノンペン裁判所に提出した。
この嘆願書では、同首相の生年月日がカンボジア当局に公式登録された当時、カンボジアは戦争に巻き込まれており、その影響によって登録に誤りが発生したとしている。
カンボジア内閣の公式ニュースレター「Cambodia New Vision(CNV)」ウェブサイトによると、フンセン首相は1977年4月4日〜2022年6月20日まで「1951年4月4日」を生年月日として使用していた。
生年月日の正式登録を行なった1977年は、カンボジアにとっても、クメール・ルージュの一員であったフンセン首相にとっても、激動の年であったという。
フンセン首相は1977年、政治的粛清から逃れるため、支持者とともにベトナムに亡命した。1979年にベトナムが支援する反乱軍の指導者の一人として帰国し、1985年に同国の指導者となった。
この嘆願書の内容に懐疑的な人たちは、フンセン首相が迷信深いため、干支を縁起が良いとされる辰年に変更したのではないかと指摘する。
亡命政治アナリストのKim Sok氏はRFAに対し、「フンセン首相は生年月日よりもっと大きな問題に関心を持つべきだ。国民の利益に奉仕し、国の領土保全と国家の名誉を守らなければいけない立場だが、自分と家族の利益を優先している。国益を阻害している」と指摘する。
プノンペン市裁判所のTaing Sunlay判事は20日、フンセン首相が求めた生年月日を変更する法令を発行し、登記官と当局に対して、同首相の要求に従って市民資格データを変更するように命じた。
与党カンボジア人民党のスポークスマンであるSok Eysan氏はRFAに対し、フンセン首相が生年月日の訂正を行なったことは事実であると認めたが、迷信と関連しているかどうかについてのコメントは避けた。
インドのWion Newsによると、50歳以上のカンボジア人が複数の誕生日を持つことはよくあることである。
フンセン首相の「1952年8月5日」という生年月日は、少なくとも過去15年間は公的に知られていたという。
カンボジア・デイリー紙の報道を引用した同首相のウィキペディアの記載には、2007年にはすでにその日付への言及があった。
※ポステオリジナルニュースは各ニュースソースを参考に編集・制作しています。