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<写真:Khmer Times>
カンボジアは2025年3月18日、1970年に発生した軍事クーデターから55周年を迎えた。この節目にあたり、プノンペンでは政界関係者、歴史家、市民らが集い、同事件の歴史的意義とその後の影響について改めて考察が行われた。
クーデターは当時の国家元首であったノロドム・シアヌーク殿下を追放し、ロン・ノル将軍率いる新政権が誕生したことで内戦の引き金となり、その後のポル・ポト政権による大量虐殺、いわゆる「クメール・ルージュ」の時代へと繋がる道を開いた。
上院議長であり国家元首代行を務めるフン・セン氏は、14日に行われた式典にて、「1970年3月18日のクーデターはカンボジア現代史における決定的な転換点であった」と強調した。同氏は「あの日、クーデターが起こらなければ、その後に続く長きにわたる内戦やポル・ポト政権による悲劇も存在しなかったはずだ」と述べ、歴史の分岐点としての重みを語った。
また、シアヌーク殿下が指導していた繁栄の時代「サンクム・リアスト・ニヨム」の終焉についても言及し、「当時のカンボジアは一人当たりGDPが約270ドルに達し、韓国よりも経済的に優位であった」と回想した。
一方で現在のカンボジアの一人当たりGDPは約3000ドルであるのに対し、韓国は5万〜6万ドルに達しており「この55年間で失われた成長の機会は計り知れない」と語った。
フン・セン氏は自身の青年時代にも触れ「18歳にも満たぬ頃、シアヌーク殿下の呼びかけに応じてジャングルへ入り、祖国のために戦った。重傷を5度負った」と語り、個人としても国家の激動と運命を共にした体験を披露した。
カンボジア記録センター(DC-Cam)および「クイーン・マザー図書館」のユク・チャン事務局長は、1970年にシアヌーク殿下がロン・ノル政権に対抗して設立した「カンプチア民族統一戦線(FUNK)」が、平和と正義を求める闘いの出発点であったと述べた。
王妃モニネアトが記した旅日記には、解放区訪問時の感情や出来事が克明に記録されており、歴史的資料として極めて高い価値を持つと評価されている。
1973年に殿下と共に解放区を訪れた際、王妃は「この旅は歴史的なものであり、私たちが真に抵抗の一員であることを証明するものだ」と記している。チャン氏は「王妃の記録には、過酷な状況下にあっても希望と美しさを見出そうとするカンボジア人の精神が表れている」と述べた。
一方、カンボジア王立アカデミーのヤン・ピウ事務総長は、1970年のクーデターを冷戦下の国際政治、特にベトナム戦争と米国の秘密爆撃作戦「オペレーション・メニュー」との関連で位置づけた。
ピウ氏によれば「この時期に内戦が本格化し、数十万人が命を落とした。真の平和が訪れたのは1990年代半ば以降である」とし、クーデターがもたらした爪痕の深さを強調した。
さらに同氏は「若い世代は、変革の代償と平和の尊さを学ぶべきである。現在、再び国際的緊張が高まりつつある今こそ、過去の教訓を胸に刻む必要がある」と呼びかけ、歴史を語り継ぐ重要性を訴えた。
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